高級住宅街ブランド、田園調布の今・昔が記事になっていました。

大正7年に、あの渋沢栄一氏提唱による田園都市構想によって
放射状の街区デザインが取り入れられたんだとか。

その規模と街路樹がスゴイですね。
(image)

残念ながら、相川駅では太刀打ちできない・・・(^^;
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この田園調布も、相続税の問題で、最低敷地面積を200坪→50坪に
変更を余儀なくされちゃったんだとか。

街並みを守るコストは誰が負担するのか・・・
考えさせられますね。


【放射線状に広がる道路が美しい田園調布 どうして今のような姿に?】

高級住宅街のイメージで語られることが多い「田園調布」。特に駅の西口側はその色が濃い。駅前の小公園は桜やバラ、噴水のある池などで飾られ、放射線状に広がった道路は区画整備がきちんとなされ、大きな屋敷も目につく。

こうした雰囲気はほかの街とくらべても特徴的だが、どうしてこのような姿になったのだろうか? 社団法人田園調布会に話を伺った。
「明治から大正時代、この一帯は農村でした。それが大正7年に田園都市株式会社が設立され、実業家の渋沢栄一さんが提唱した田園都市構想によって住宅地造成用土地の選定がはじまりました。その際、サンフランシスコ郊外の住宅地セント・フランシス・ウッドに魅かれ、この街の放射状に伸びた道路デザインを取り入れることにしたそうです。こうして大正12年に売り出されることになったのですが、“高い塀をつくらず生垣にすること”、“土地は200坪単位以上”という約束事が定められたため、大きな屋敷を建てる人が多かったようです」

こうして完成した田園調布は、“日本ではじめて計画的に開発され、分譲された庭園都市”と呼ばれるようになったという。だが、この街の雰囲気も現在では変わってきているという。
「遺産相続の際に相続税の支払いができず、売らざるを得ないということが起こりました。そこで最低敷地面積を50坪に定め直したのです。その結果、昔のように大きな屋敷は少なくなってしまいましたね」

ちなみに、田園調布に新しく家を建てようと考えた場合、さまざまなルールを守らなければいけない。例えば、建築物は地上2階建て、高さは9mまで。屋根や外壁もカラーガイドに沿ったものに限られている。
「すべては田園調布の景観を守るためです。また、近隣住民とのトラブルを未然に防ぐために、新たに家を建てる際には、田園調布会に図面と模型を出していただいています。室外機が隣家の寝室の側にないか、窓から丸見えになっていないかなどを確認するのです」

田園調布が今でも美しい姿を保っているのは、地域住民たちが一丸となり、街を保全していこうという活動があったからにほかならない。特に駅前の街路樹などは四季の移り変わりを目で楽しむことができるスポットでもある。近くに寄った際は散歩がてら降りてみるといいかもしれない。
(10月12日 SUUMOジャーナル)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131012-00053502-suumoj-life


土地家屋調査士 大阪 和田清人(image)
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