3・11 東日本大震災から2年。2年前の3月11日、皆さんは何処でどう過ごしていましたか?私は、東京墨田区に他社さんのセミナーを受講中でした。その時、小さい揺れがだんだんと大きくなり、収まる気配を感じる事無く、揺れ続け、一瞬「関東大震災が起きているのか?」と思うほどでした。揺れが収まり、前職の会社は茨城県ひたちなかでしたので、会社から電話があり、茨城は大変な事になっている事に気づきました。そのあとも何度も余震は続き、セミナー会場のホテルに滞在する事にして、すぐに、コンビニに食料とお酒の買い出しに行き、ホテルが用意した避難所でテレビを見て「びっくり」次の日に、地下鉄で上野駅へ、上野は人人人、常磐線は動かず、上野駅から歩いて北千住駅へ、北千住に到着して、常磐線は動いているもののまさに乗車率150%越え、ホームに入れない人の山。無理だと想い、タクシー会社へ我孫子に行けば、我孫子在住の営業がいるので、会社の営業車がある。我孫子に向かおうとタクシーに乗り込み、我孫子へ。そして、営業車に乗り換え、自らの運転で茨城県ひたちなかを目指す。電気、水、ガスのライフラインは壊滅。翌日には電気は復旧するも水・ガスはダメ。車で栃木県小山市まで食料の買い出しに。しかし、水が出ない。そうすると近所の農家さんが、井戸を無料開放。本当に助かりました。テレビでは、日々惨劇が映し出され、落ち着かない原発。自衛隊は創設初となる全軍出動態勢。国民の誰しもが、あの状況で戦闘服を見た時に安心したことでしょう。私の同期も当然、現地入り。まさみ最後の砦。本当に安心できる存在ですよね。OBとして、誇りに思います。やがてコンビニにおにぎり・サンドイッチが並んだ時は感激しました。忘れてはならない、あの惨劇、そして、今日に感謝。私共HWC-RESEARCH JAPAN日本在宅医療福祉保育連携研究所株式会社は高齢者住宅を通して、震災復興、被災地の方々の就業支援、そして、高齢者やその家族の方に安心を提供し続ける様東北復興を支援しております。福島での高齢者住宅のご相談はお気軽にご相談下さい。全力で支援致します。
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