国語辞典によると、終の棲家とは最後に安住する所。これから死ぬまで住むべき所。とある。(image) 高齢者住宅を探す時によく言われるのが、「最期まで住めるか?」確認をする事。高齢者住宅を紹介する専門会社の勉強会でも「最期まで住めるか?介護度が上がったらどうなるのか?認知症が進んだらどこまで対応してくれるのか?医療サービスは受けられるのか?」物件毎に違うから「確認を」を言っている。では?なんの為の高齢者住宅なのか?それは誰の為のものか?疑問に思う。よく言われる事がある。サ高住や住宅型では限界があると・・・だから特養の方がきめ細かいサービスと重度対応ができる。特養の方が安心だと。私は思う。「その限界って何ですか?」では聞くが、「在宅死」は不可能なのか?不可能ではない十分に可能。特養が安心と言うおとぎ話みたいな「神話」はもう終わった。逆に、虐待が年中起きているのも特養が多い、100人規模の入所者に対して、ほんとうに向き合い、じっくりと、時間をかけた、その人らしい「介護」ができるのか?全部が全部出来ないとは言わない。きちんと志を持ってやっている所ももちろんある。しかし・・・残念ながら少数。介護度が上がったらどうなるのか?と言う質問もある。簡単な答えだ、介護度が上がったらそれに見合う介護サービスを頼めば良い。認知症の進行が進んだら?きちんとした医療サービスは受けられるのか?家族の意識も少しおかしいのでは?とも感じる。介護度が・・・認知症が・・・医療が・・・親をどこに入れるのか?施設なのか?病院なのか?高齢者「住宅」は病院でも施設でもない。あくまでも「住まい」では普通の賃貸住宅や自宅であったら同じ質問をするのか?するんだとしたらそれは?誰にするのか?自分達か?今や、デイサービスはコンビニの数より多い、訪問介護も訪問看護も小規模多機能も在宅医療も受けられる時代。住まいに併設されている「介護」に頼るのではなく、介護を「選ぶ」と言う感覚が何より大事。以前にこんな相談事例があった。都内で介護付有料老人ホームに入居中のご家族から。介護付だから手厚い介護が受けられるから安心だと思ったが・・・パンフレットにも見学した時にも「手厚い介護が売り」だと言われ安心して、入居させたが、自宅で訪問介護やデイサービスに通っていた方が手厚い介護だったと今思える。全然、手厚くない。なかには週に2日しかヘルパーさんが来ない日がある。そこで、ホームに問い合わせた、介護報酬も定額で払っているんだからもう少し、回数を増やしてもらいたいと。しかし・・・ホームの回答は、介護報酬はひとりひとりの入居者さんの為ではなく、ホーム全体としての介護報酬だ。お父様はそれほど介護が必要ない。今ので十分との回答。行政と相談して、介護付だけど、そこの介護は使わずに、外部の介護会社を利用している。最期まで住めない高齢者住宅があること自体がおかしい・・・高齢期になって何度も住み替えをしなければ行けないのか?そんなバカげた話はない。でも、残念だけど、そんなバカげた高齢者住宅の方が多い。私共が提唱するのは、「終の棲家」としての高齢者住宅。元気なうちや軽度の時に入居してもらい、愉しく老いる。いつまでも、お迎えのその時がくるまで、事前に準備し、備え、あとは愉しく時間まで暮らす。これ以上、介護度が上がらない様に、認知が進行しないように、定期的に健康管理を行い、美味しい物を自分の歯で味わう。当たり前の様に当たり前に暮らす。そこに、介護保険と言う概念は無い。万が一介護が必要、医療が必要と言うのであれば、それは当然提供する。しかし、介護の医療の「押し売り」はしない。それが、本当の真の終の棲家ではないか?(image) コンセプト型サ高住のご相談・ご依頼はお気軽に!!「高齢者住宅経営研究所」で検索
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